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帰国しました
Bonjour! 本当にお久しぶりです。

3月23日、日本に帰国いたしました。
この日をもって、5ヶ月弱の一時退避期間も含む、2年間の任期を終えました。


せっかく一時退避からブルキナへ帰れたのに、このブログは長らく更新できませんでした。
ちょっとした連絡や出来事ならFacebookの方が便利だった、といえばそうなのですが、多分、アフリカ生活に普通になじめてしまったがゆえに、なかなかブログにするまでにいたらなかった、ともいえるかもしれません。

それなのに、こうして日本に帰ってきてみると、ブルキナ生活は夢のように思えてなりません。もっというと、他の国というより、もっと遠くになってしまったような。いままで海外で生活したことはありますが、ここまで距離的にも、その他の意味でも、遠くに感じた国はありません。


ブルキナファソの人たちには、本当によくしてもらいました。
協力隊として、わたしができたことなんて、本当にわずか。いや、なかったに等しいような気もします。
それなのに、家族のように迎え入れてくれた。
親しい人もだけど、顔見知りの人も「Aya-!」「Pogbi-!」と、よく声をかけてくれました。

あいさつを大切にする文化。なので、こまめに連絡しなきゃな、ってわかってはいるんですが。
こうして日本に帰ってきてしまうと、インターネットがない彼らには、国際電話しか連絡手段がありません。郵便もあるけれど、住所がないから、市役所とかの私書箱に送らきゃいけない。となると、個人宛って、なかなか難しくなってくる。

いまは新しい生活で精一杯だけど、今後、日本からブルキナファソのためにできること。何か探していきたいと思います。


このブログの更新も、帰国に伴い、終了することにしました。
2年の半分くらいしか更新できませんでいたが、見ていただいて、ありがとうございました。
いつもの週末。
Bonjour!おひさしぶりになってしまったOyoです。
みなさん、さばですか? あじもいわしもさばです。

私は・・・はい、ええと、任地に帰ってきて前回のブログをアップしてから、1週間ほど、(軽い)肺炎とそこから来る胃腸炎と変な大腸菌にやられて寝込んでおりました。健康管理員さんの指示で首都にあがり、JICA指定の病院で診察を受け、恐ろしい高額なお薬たちを飲んで、ふっかーつ!です。いや〜。医療があるって、すごいね〜。

うちの鶏、知らないうちに倍以上に増えていたよ・・・。朝は4時半から、恐竜かと思うくらいの雄たけび。猫のえさもすべて食べてしまうので、結構油断ならんやつらです。(食べ残しの鶏の骨とか、バリバリ食べるし・・・)

来月のイスラムのお祭りTABASKIには、友人たちにお土産に持って行こうと思います。自分じゃ、さばけないので〜。






というわけで、久々の任地での週末。仕事は・・・まあ、例によって放置プレイなので、また来週に策を練ります。(また仕事のことは別にアップしますわ。)

土曜日は、よく利用するバス会社のひとつSTAFのガール(バスターミナル)が新しくなったというので、その式典に。
 

踊りや歌が盛り込まれるものの、相変わらずのブルキナの式典。いや〜。次々と人が出てきて、その話が長いんだってば。(しかも、半分現地語。まったくわからん。)

 
運輸大臣が来て、その時だけ、パラソルが登場。この国、やっぱり偉い人は特別待遇なのです。会社運営側にイスラムの人が多かったのかな。あっさらーむ・あらいくむ な人が多かったです。

 
となりの県のプニから、わざわざ伝統的なマスクさんたちもご来場。
 
もちろん、激しい踊りつき。むちや杖を持って、暴れまくる(にしか、見えない。)相変わらずだが、暑そうだ・・・・。

そして、さらには、お大臣様、この辺のナーバ(王様。どうしてでてきたんだ!?)に贈り物の羊をプレゼント。

最後には、バスターミナルの除幕式。(って、インフォメーションが書いてあるところに紙をはっただけのをぴりぴりやぶっただけ。) 一応、首都の他に、ボボデュラッソという第二の都市にも路線開通したようです。万歳。
 

この後たぶん、飲み食いのパーティがあっただろうけど、ごちそうに突進して食べまくるブルキナベについていける自信が皆無だったので、同任地の隊員も誘って、同僚カリファの家へ。

このおうちには、たまに遊びに行かせてもらってます。(テレビあるし!) カリファの4番目のおこさまも、最初行った時は、ちっこい赤ちゃんだったのですが、もうすっかり大きくなって、あたりを走り回っていました。

退避前は、白人(黒じゃなければ、白なの。こっちでは。)が怖くて泣きまくってましたが、いまはなんとなく距離を保って、こっちをがん見です。








いつもながら、マンゴーの木下にいすを置いておしゃべり。マダムお手製のリグラ(り=米 グラ=油)を出してくれました。彼、イスラム教なのに、いつもいくと、わざわざお酒を買ってきてくれます。
  
「今日は心行くまで酔っ払うのだ!」と、ビールやらラム酒やらワインやら・・・。冷蔵庫がないのに、氷までだしてくれて、本当に申し訳ない。ここは、もう思いっきり、食べて飲むしかない!ってことで、昼間っから、相当酔っ払いました・・・。(ばんちょ〜、いっぱい飲ませてごめん・・・。)

  
4番目の息子と3番目の息子。日本の帽子に興味津々。

この後は、ひたすらしゃべりまくりました。ブルキナであったこと、日本であったこと、いろいろと。ちょっとびっくりしたのは、カダフィー大佐は、アフリカの民を助ける人で、彼らには英雄である、ってこと。先日、コンパオレ大統領は、受け入れを正式否定しましたが、それについては彼らは非難してました。ブルキナの騒動は一応鎮静化してますが、やっぱり政府のやり方には、色々不満があるみたいです。

夕方はたけとんぼで遊んだりしましたが・・・いや〜。あんまり覚えてないかも・・・飲み過ぎてふらふらになって帰宅し、夕方からもう爆睡。久々に「限界まで飲み食いする」ブルキナ式のお呼ばれ、堪能しました・・・。来月の祭りでは、要対策です。

それにしても、この国の人たちの歓迎っぷり。本当にありがたいです。彼のお給料額を知ってるだけに、このもてなし、ちょっと心が痛くなるくらいです。

私ができることって、本当に少ない。けど、彼らは、全力で私たちを受け入れてくれる。あと半年。何かが残せるかははなはだ自信はないですけど、友人のブログにもあったけど、こうした人たちとの出会いが、一番の収穫なのかも・・・と、しみじみ感じました。

ただいま、クドゥグ。
Bonjour! 任地に帰り、廃墟になっていた我が家の掃除をし、滞納していた請求書を片付け、やっともとのおうちとライフラインが戻ってまいりました。ふ〜。
疲れた。みなさん、さばですか?

いや〜。ブルキナベの歓迎っぷり、半端ないね〜。

「おかえり!」「久しぶり!」「日本の家族は元気だった?」みんなみんな、大歓迎。彼らの喜びようと笑顔を見て、あ〜、帰ってきたんだなあって心から思いました。
言いたい放題の人たちは、「いったい、どこいってたの?」「何で何も言わないで日本に帰るんだ!」「何で俺を連れて行ってくれたかったんだ!」うん、なんか、ブルキナベだな〜って感じ。ほんと、みんな変わらないな〜と。

相変わらずといえば、町を自転車で走ってても、刺さる視線。
「ぽこびー!おかえりー!」ってあちらこちらから叫ばれ、「なさーら!(現地語で白人!)」「じゃぽね!」「シノワ!」 ・・・いやはや、日本にいた時のように、ふつーにさらりとは通り過ぎることは許されないですな、相変わらず。

会う知り合いには100%「太ったね!」といわれる悲しいおいら。職場のマダムには、腰の肉をつかまれ「こんなん、前なかったわよ!」と言われ、服が入らないというと手をたたいて爆笑され・・・ちくしょ〜!なんとか退避以前の体重に戻さないとな〜。

変わったことといえば、わが愛猫いわし!
電話では生きているよ〜とは聞いていたけれど、ほんとかいな?と疑っておりまして。この目で見ないと・・・・と思って帰宅してみましたら。なんと・・・子供をつれていました!


うちのムスメがいつの間に!!!こんな針金のように細いわが子がコドモを生んだなんて!もともと細い子でしたが、ガル(警備員)に託したお金が尽きてからは、自力で暮らしていたみたい。餓死寸前か!?と思うほど、がりがりにやせていました。(涙)

早速肉をあげたからなのか、いやいや、その前から家の中には入ってきたし、私を飼い主と認識しているらしくすりすりしてくるいわし。外猫になっていたので、ノミが気になるところですが・・・ウイヤツです。







こちらが、新登場、「あじ」。真っ黒な子猫です。(目が怖い・・・びーむ!)

本当は3匹くらい生んだみたいなんだけど、亡くなってしまったみたいで。このあじも、まったくもって人見知りしていて、近づいてくるのがやっとですが・・・まあ、そのうち慣れるかな〜。いや、慣れてくれ!


おうちのほうは・・・ええ、それはそれは、すごい廃墟で。入ったとたん、変なにおい。(多分、トカゲの糞のせい。)ホコリだらけで歩くのもためらわれ。水がでなかったので、掃除もままならず・・・


任地に戻って2日目にやっと時間ができたので、支払い関係を済ませ、友達を呼んでひたすら掃除。ブルキナベ、本当によく働きます。きれいにごみを取り、雑巾で床もどこも磨き上げてくれました。


ほこりまみれで色が変化してしまったシーツ。(裏と表ね。)

あり塚は、そんなにたくさんはなかった(7個くらい、シンプルなヤツができてた)けど、シャワースペースとトイレの排水溝に巣ができてて、どけたら数万(!)という大群が床を埋め尽くす始末。写真撮る気力もなかったよ〜。
 
シロアリの巣(通り道?)やつら、壁にも巣を作るので、かけていたカレンダー落とされたよ。

玄関のぶどうの支柱も、暑さとありにやられて倒れたみたい。ドアまで行くのが大変だし、いってもドアは開かないし、大変だったわ〜。
 

お友達のおかげでなんとか掃除は終わって、帰郷3日目の本日はほぼ前の暮らしに戻りました。まだ町を歩くと、その刺さる視線とこれでもか〜の挨拶攻撃にうんざりですが、徐々に慣れていければと思います。

そんな感じで。明日からは、きょーふの仕事復帰です。またレポートします。
ただいま、ブルキナファソ。
Bonjour!
ブルキナファソに無事戻ってきたOyoです。

緊急退避して、実に4ヵ月半。長い長いお休みでした。
雨季も終わりに差し掛かり、すっかり気候の変わったブルキナファソ。飛行機から見下ろしても「緑が多いな〜。ため池ができているな〜。」と人目で変化がわかるほど。降り立ってみると、確かに日本より少し暑いけど、前回出国する時とは比べ物にならないほど、過ごし易くなっているような気がします。

戻ってきて感じることは・・・ う〜ん、意外に「普通」だなってこと。
ブルキナベは、依然と同じように陽気でいい人たちで、道には動物たちがうろうろしていて常に鳴き声が聞こえていて、大地は埃っぽくて赤茶けていて、相変わらず停電ばかりで。

でも、この「普通」になるって言うまでが、きっととっても大変な道のりだったのだと思います。昨日は、JICA事務所で、改めていろんなオリエンテーションがありました。その中で、私たちの退避後の状況を詳しく所長から聞き、改めてここ数ヶ月でブルキナファソで起きた一連の事件の大変さを知りました。市民を守る側が市民を攻撃したこと、起こった危機は「国が崩れるような」危なさを持っていたこと。アフリカでも、もっとも平和で温厚といわれていたブルキナファソが、脆弱国家として見られるようになってしまったこと。「今年はブルキナベにとって歴史的な年だった。一番傷ついたのはブルキナベ」の言葉は、一連の話を聞いた後では、本当に心に刺さるものでした。


 
↑ いつも行くスーパーにも、略奪の爪あと。しっかりと銃弾の痕跡が残ってます。(あちゃん、写真ありがとー)


週末の今日、町を歩いてみました。
町がなんだかきれいに感じたり、声をかけてくるブルキナベが意外にしつこく感じなかったり。照り付けてくる太陽はやっぱり暑いけど、前とはなんだか違う感じで。なによりも、いままで一緒にいた仲間がいなくなっているということを、改めて実感しました。きっと任地に戻ったら、また前のような生活が始まるんだろうけど、やっぱり何かがぽっかりとなくなっているような、そんな気がしてならないブルキナファソなのです。

私は予定通り、2012年の3月末に日本に帰る予定です。
この空白の期間で失われたものはたくさんあるだろうし、少なくなった残りの期間でやれることはすごく限られてしまいました。

でも、4ヶ月ちょっとの一時帰国で、見えてこなかったものもたくさんあったし、この時間を後々どんなものとして位置づけられるかは・・・・本当に私自身の行動だったり、考え方次第なのかな、とも思います。「おかえり!」って言ってくれるブルキナベのためにも、前を向いて一緒に進まないとな、と帰ってきて改めて思いました。

なんだかくそまじめなエントリーになりましたが。私たちはとにかく元気にやってます。また任地に戻って、普通の生活ができるようになったら、アップしますね。あびあんとー。
帰ブルキナ決定
Bonjour! かなーりお久しぶりです。みなさま、お元気ですか?

3月末のエントリーより長らくご無沙汰しておりました。その頃発せられた、震災後のブログ更新自粛令に始まり、未曾有のブルキナファソ治安・政情不安定による一時退避帰国をしておりまして、なかなかブログの更新にはいたりませんでした。

もうこのブログどうしてくれようか・・・・と考えていた、というより、忘却の彼方に行きそうな勢いでございましたが、ふと戻ってまいりました。というのも、外務省の危険度レベル認定が、一時最高レベル4だったブルキナが、あれよというまにレベル1まで下がり、めでたく8月19日には、JICA本部から「最終的に現在の治安情勢を見定め、また安全確認調査等も行った結果、隊員の皆様の帰任は可能と判断しましたのでここにお知らせします。」と連絡が来たため、9月上旬にはブルキナファソに帰任することになったんです。あら、びっくり。

今回の騒動悪化のきっかけになったのは、軍部の暴徒化なので、悲しくも、軍事施設がある都市に配属の隊員や軍事施設のある都市を経由しないと任地に帰れない隊員は帰任できなくなりました。そのことで、90人近くいたブルキナ隊は30人弱になってしまい、大切な同期は12人から3人に減りました。

任期短縮を選択した人や任国振り替えした人、さまざまな人がいる中、こうして騒動の発端となったKoudougouという都市に配属されている私が帰れるのは、すごく運がいいことなんだと思っています。

とはいえ、空白になってしまった日本一時退避の4ヶ月という、2年と限られた任期を考えると長すぎる時間。いままで当たり前のようにいた仲間たちがいなくなったという事実。そして、日本の便利な生活で甘やかされてしまった今の状態で、またあの過酷というか、気力も体力もいっぱい使うあのブルキナ生活に戻れるのか、そして、また1からと言うか、もしかすると0、それ以下になっちゃってるかもしれない仕事に戻るのは・・・ ちょっと自信がない状態ではあります。フランス語もすっかり忘れてしまって、またブルキナベと喧嘩 話し合いができるかどうか・・・。(実際、メールを出すのにも一苦労なザンネンなおいら。)

そんな自分に嫌気がさしまくってはおりますが、日本に4ヶ月も、しかもすごくいい季節に帰らせてもらったこと自体がラッキーなんだと自分をなだめつつ、残り6ヵ月ちょっと、前とは違った環境ではありますが、できる限りのことをしてから帰ってきたいと思います。

アフリカ生活を紹介しようと思ってはじめたこのブログも、今後は任期完了までできる限り続けていきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いします♪


2011年8月20日 長野にて。
Oyo

中間発表終了

こないだも書きましたが・・・早いもので、ブルキナ暮らしも1年が過ぎ。ブルキナ隊員は、1年が過ぎると、職場での報告会が義務付けられており、不肖ワタクシメも30日の本日、発表会をしてまいりました。

報告会に先立ち、市役所内を回覧する仰々しいレターが・・・

↑「ポコビーがプレゼンテーションをするので、各関係者、集まるように。」
(と書いてある模様。)


誰か来てくれるのかな〜?ってちょっと心配でしたが、ふたを開けてみたら、各部署から人が集まり、10人以上。副市長も二人とも来てくださり、みなさま一生懸命聞いてくださいました。(多分、あたしの仏語を聞き取るのは大変だったかと。)


この日の発表は、三本立て。

1:Le rapport(一年間の活動レポート)
2:La proposition(市役所の文書管理についての提案)
3:Les questions,les discuissions et les suggestions(質疑応答、ディスカッション)

大体、1時間くらいはしゃべったかな・・・?1ヶ月くらいかけて、フランス語の先生と勉強もしながら準備してきたので、資料は大体できていたのですが、口頭の発表は・・・ああ、ドマージュな感じでしたが、発表後には、みなさんひとりひとりが意見をくださったりして、今後の参考になりました。(いまいち、何をおっしゃってるか、私の仏語の聞き取りに難がありまして、全部理解できなかったんですけど。涙)

でも、何よりも、「1年間、がんばってくれてありがとう」の言葉をたくさんいただけたこと。「Oyoはすっかりここになじんで、がんばっている!」と受け入れてもらえたこと。仕事としてやり遂げたことは、そんなに大きなことではなかったけれど、日本人のいなかったこの市役所でブルキナベたちと一緒に過ごしたこの時間は無駄じゃなかったなあ〜と、胸にじぃんとくるものがありました。

次の日も、いろんな人に「昨日はおめでとう!」「報告してくれてありがとう」などと、なぜか、祝福のような言葉をたくさんいただき、ああ、1年たったんだなあと、少しすっきりしました。肩の重荷がすっきりとれたみたいな・・・。


とはいえ、考えてみれば、これで半分。今になって、やっとわかってきたことや急に見えてきたこともあり、今後やらなければならないことが山積みでもあります。これからが正念場なのかな、と。
報告会があると思うと、その直前の期間は、仕事の仕方も効率よく、また頭も一杯使っていろいろ考えたりしましたが、終わってみるとちょっと腑抜けになった感じにもなっているので、ここでまた気合を入れなおして、がんばらないと!


そんな期末の一日でした。4月から、また新たな気持ちで2年目の活動をがんばります。





ストレス発散→料理
Bonjour!変わらず、暑いブルキナです。

こっちにきて。週末のストレス発散は・・・買い物と料理です♪
今週末は、隣町Reoで野菜祭りがありましたので、まとめ買いのチャンス!これは行かなくてはどうする!?ってことで、さくっとお出かけしてきました。

たまねぎ、にんじん、きゃべつ、ピーマン、マンゴー、バナナ・・・ううーん、何種類あっただろう。十数種類の野菜の出来具合を競い、優勝したら賞金(25万F!)と肥料やリヤカーなど、農業に役立てられる景品をもらえるらしいです。
しかも「そこで受賞した人の野菜を食べれば、1年健康に暮らせると言われてもいるらしく、みんな必死で野菜を作ってもって来るみたいです。なんてすばらしいコンテスト♪(でも、コンテストの写真は、暑すぎて撮るのを忘れたと言う・・・。ドマージュ。)

コンテストの後は直売もあったので、名物の豚の丸焼きをしっかり食べた後、参戦してきました。この間セネガルにバカンス行ってからと言うもの、金銭感覚が狂い、お財布の紐がだらだらに緩くなってしまったので、しこたま買い込んでしまいました。

で、仕事の資料ができないストレスのたまった本日、日曜日。PCに向かうのに疲れたので、せっせと野菜の調理。ここでは、乾季になると野菜が消えるので、今のうちに野菜を確保しておかねばならぬのです。(日本みたいに、いつでも手に入るわけじゃないからね〜)

・大量に買ったトマトは、湯むきして冷凍保存。もしくは、ソースにして冷凍。
・バジルは、乾燥させて調味料に。(1日で自然乾燥でからから!)生のバジルは、刻んでオリーブオイル漬けに。
・たまねぎは、薄切りにして、酢漬けに。
・にんじんを皮むき機で薄くむいて、バジルオイルとバルサミコと塩コショウでサラダに。
・生姜は、薄切りにして紅生姜(紅じゃないが)に。
・きゅうりやにんじんは、棒状に切ってピクルスに。
・ジャガイモを大量のポテトサラダに。(マヨネーズよりマスタードの方が安いから、こっちを大量使用。だから、卵はいってないのに、黄色い。)


本当は、トマトもドライトマトにしたかったのですが、なかなか難しかった(ハエが多いからね〜)ので、こちらはすでにできているものを購入。あとは、天気のいい日を見計らって、にんじんの輪切りを天日干しようと思います。


こっちに来て、現地食があまりにも油が多すぎるっていうのもあるんだけど、前より食べ物を調理することに関心が増した気がします。
時間がいっぱいあるし、ありがたくも日本から食料を送ってもらえているのもあるんだけど、丁寧に工夫して料理して、おいしく食べるって大事だなあと。食べる→生きる なんだなあと。
ブルキナベも、品数はすごい限られてて油っぽい料理だけど、見てると本当に丁寧に時間をかけて(しかも、炭とかで)料理します。限られた食材しかないのに、それをうまく使っておいしく作る。しかも、お肉は、その場で生きている動物をさばくケースが多いから、小さい子供も、その大切さもちゃんと分かっているような気がします。

日本のハハも、せっせと野菜を栽培し、沢山保存食を作っています。多分、ムスメは、そういう姿を見ていて、自然にやるようになったのかもしれませぬ。私は、まだまだ上手く保存食は作れないし、そもそも料理がそれほど上手ではありませぬが・・・ここでも、そして日本に帰ってからも、「食べる」ことを丁寧に大切にしていきたいなあと思う今日この頃です。
祝!ブルキナ1周年
みなさま、こんにちわ。

今日25日で、ブルキナに来て1年がたちました。24日にまだ寒かった日本を出て、これまた寒いパリでトランジット、25日の夜にブルキナに到着した時の衝撃。いまでも覚えてます。
暗い空港、むわっとする熱気、すごいホコリ。

安宿暮らしには慣れていたはずなのに首都の隊員連絡所の汚さに凹み、停電や断水で困り、舗装されてない道路の砂塵にいらつき、食べ物の不衛生ぶりにびびり、何よりもどうしようもない暑さに苛立ち。
1年たった今では、そんな非常はすべて日常になり、もはやちょっとやそっとのことじゃ凹まなくなりました。(いや、きーきーいってることも多いけど。)

仕事のほうも、最近は急にいろんなことが見えてきました。もちろん、うまくいかなくていらつくこともまだまだ沢山あるのですが、自分なりの仕事の仕方ができてきたり、こういう仕事をこういう計画でこういうふうに進めたいっていうものが見えてきた、という感じです。ふと視界が開けたっていう感じかも?
どこに行っても思うけど、やっぱり仕事って、それなりにその場所の環境ややり方や慣れてきて、自分のやり方やペースが確立するまでには時間がかかるものだなあと。日本人のいない環境に放り込まれ、ブルキナベや不便な状況、何よりも暑さに振り回されていましたが、最近は同じ職場にPC隊員さんが入ったこともあり、はっと我に返って、本来の自分のやり方みたいなことを思い出してきました。「現場にやり方を合わせろ」「日本のやり方は通用しない」とは言いますが、かといって、こちらに溶け込むために、何もブルキナベになることもないかな、と。そう考えて仕事を始めたら、なんだかふっと楽になった今日この頃。

フランス語は・・・ええ、上達しました。回りが。私のめちゃくちゃでドマージュなフランス語でも、がんばって聞き取り、欠けている(間違っている)部分を頭で処理し、意味を推測して、理解してくれると言う能力が、飛躍的に向上したブルキナベ多し!いやあ。助かります。
ええと、あたしのフランス語の方は、30日に中間報告会をするため、いま資料を作りながら、フランス語の先生と毎日勉強しているのですが・・・・ううむ。語学って、もうどうしたらいいんでしょうねえ。永遠の課題です。少なくとも、ここで暮らす後1年の間、生活や仕事が成り立つレベルでゆる〜く頑張ります。

22日に、協力隊ニジェール全撤退の公表がありました。北アフリカの国の隊員も一時帰国中です。
「もうやだ!帰りたい!」って、つい弱音を吐いちゃう時もあるけど、ここでこうして活動ができていることは、本当にありがたいことなんだ・・・と、改めて実感します。


折り返し地点に来て。
当たり前じゃなかったことが当たり前になった。非日常が日常になった。
慣れたからこそできることも増えたけど、当たり前になっちゃって見過ごしちゃうことも多くなってきた。

この日本が大変な時に、海外でボランティアをさせてもらえること。沢山の人にお世話になり、支えられていること。
何よりも、こうして健康で毎日笑って暮らせること。すごく幸せなことなんですよね。

感謝を忘れずに、真摯に謙虚に。でも、もっとパワーアップして、残りの1年を過ごしたいと思います。

いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。


PS:あつこさん、りおさん、誕生日おめでとう!来年は一緒にお祝いだ!


ブルキナに戻りました
おひさしぶりです。ブルキナファソに戻ったOyoです。

まずは、この地震で被災された方々、および今でも不自由な生活を送っていらっしゃる日本の皆様にお見舞いを申し上げます。ライフラインの復旧や原子力発電施設での対応に全力を尽くされている方々に、心からの敬意を表します。

地震当日の11日、地震のニュースを聞いたのは、ちょうどセネガルに到着して次の日、旅行に出る前のブリーフィングを事務所で受けていた時でした。こちらではあまり情報がなく、運良くテレビをみることができても、すべて仏語の情報だったので、実際の被害の状況を知るのは、大分後になってからでしたが、その状況を知るにつれ、旅行気分もなくなり、ただひたすら日本の情報を求める日々でした。そして現実のものとも思えない映像を見るにつけ、言葉を失い、胸が痛み、涙がでてきました。


海外で協力隊活動している私には、できることと言えば祈ることと募金くらいです。本当に無力です。日本の状況を知るにつれ、「海外でボランティアなんかしてる場合じゃない」などとも思いました。海外で被災を免れた罪悪感がないとも言えません。実際、私は任国外旅行中だったので、旅行なんて切り上げて、任期も切り上げて、日本に帰った方がいいのでは・・・?と真剣に思いました。

でも、多くの方がおっしゃっているように、いまは自分のできることをここですることが、一番なんじゃないかと。国連からのこんなコメントがありました。「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する。」祖国が大変なことになっているけれど、いまここで頑張る意味は十分にあると思います。


旅行記を載せようかと思いましたが、今は自粛します。


こうしてブルキナに帰ってきて思うことは、「いまの自分の居場所はここだな」ってことです。

1年ぶりの同期との再会、ブルキナとはまったく違う環境を見ることができ、大分気分転換になりました。暑さからも開放された、夢のような10日間でした。

ブルキナの空港に降りたったとたん、熱風と刺さるような日差しにやられました。任地に帰ると、3日間続いている断水。頻発する停電。日向の温度計は50度近く、日陰でも40度以上。厳しい環境は相変わらずです。
職場の話をチラッと聞きましたが、明日はけんかすること間違いなしです。やることは盛りだくさんですが、どこから手をつけるのがいいいか悩む、試行錯誤の日々が待っているのを再認識しました。

セネガルは去りがたかったけど、実は、ここに帰ってきてほっとしている自分もいます。ココロ折れる要素は満載ですが、とにもかくにもあと1年。ここでやれることを一生懸命やるしかないかな、と。休暇のおかげで、腹をくくることができました。暑さでやる気を失うこと多々ですが、気合が続く限り、気を引き締めて頑張ろうと思います。

セネガルでお世話になった同期のみんな、本当にありがとうございました。みんなが頑張っていることがわかったことが、一番のお土産でした。また1年後に、元気に再会しようね!
Huit mars (8/3)なんですけど。
本日、ゆい・まるす=le Huit Mars = 8日 3月。
国際女性デーです。

この日に合わせて、みんなユイマルスの布を買い、自分の服に仕立てます。
ワタクシも、アンサンブル(上下セット)とパンタロン(パンツ)、シュミーズ(ブラウス)を仕立ててもらいました。

で、これを着て、街で行進の予定だったのですが・・・・。(→あっちゃんのブログにあるみたいな、こういうやつね。) うちの地方でお祭りがある予定だったRéoにて、お祭り当日なのにデモが起きてしまいまして。またもや、県局が焼かれ、まさかのお祭り中止。残念すぎ!!


ということで。クドゥグ隊員、こぞっておいしいものを調理し、食べることにいたしまして。
 
豚をさばいているところに行き、よさげな部分を選んでお買い上げ。部位はよく分からないのですが、油がのった、ミンチ肉に調理しやすいところをお買い上げ。

家に帰って、きれいにばらし、皮や骨はとんこつスープのだしに。








いっぱい野菜を切って、肉のミンチと混ぜ、餃子皮。とにかく、全部手作りです。Y氏、さすが! 
 
 
 本日のメニューは、ちらし寿司・春巻・水餃子・サラダでございました。実は、Y氏が来て以来、はじめてみんなが揃って、もりもり食べるご飯でした。最高ですな〜。 

 ええと、あとは・・・8日からConjé(休暇)をいただきました。10日間。ちょっくらセネガルへ行ってきます。同じ西アフリカだけど、宗教も違うし、発展度合いが違う。きっと、いろんな新しいことがあると思います。またブログにします。

2011年の女性day。行進はなかったけど、Koudougouジョシ+新隊員のダンシで楽しく過ごしました。いつもご飯、ありがとう〜。