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いつもの週末。
Bonjour!おひさしぶりになってしまったOyoです。
みなさん、さばですか? あじもいわしもさばです。

私は・・・はい、ええと、任地に帰ってきて前回のブログをアップしてから、1週間ほど、(軽い)肺炎とそこから来る胃腸炎と変な大腸菌にやられて寝込んでおりました。健康管理員さんの指示で首都にあがり、JICA指定の病院で診察を受け、恐ろしい高額なお薬たちを飲んで、ふっかーつ!です。いや〜。医療があるって、すごいね〜。

うちの鶏、知らないうちに倍以上に増えていたよ・・・。朝は4時半から、恐竜かと思うくらいの雄たけび。猫のえさもすべて食べてしまうので、結構油断ならんやつらです。(食べ残しの鶏の骨とか、バリバリ食べるし・・・)

来月のイスラムのお祭りTABASKIには、友人たちにお土産に持って行こうと思います。自分じゃ、さばけないので〜。






というわけで、久々の任地での週末。仕事は・・・まあ、例によって放置プレイなので、また来週に策を練ります。(また仕事のことは別にアップしますわ。)

土曜日は、よく利用するバス会社のひとつSTAFのガール(バスターミナル)が新しくなったというので、その式典に。
 

踊りや歌が盛り込まれるものの、相変わらずのブルキナの式典。いや〜。次々と人が出てきて、その話が長いんだってば。(しかも、半分現地語。まったくわからん。)

 
運輸大臣が来て、その時だけ、パラソルが登場。この国、やっぱり偉い人は特別待遇なのです。会社運営側にイスラムの人が多かったのかな。あっさらーむ・あらいくむ な人が多かったです。

 
となりの県のプニから、わざわざ伝統的なマスクさんたちもご来場。
 
もちろん、激しい踊りつき。むちや杖を持って、暴れまくる(にしか、見えない。)相変わらずだが、暑そうだ・・・・。

そして、さらには、お大臣様、この辺のナーバ(王様。どうしてでてきたんだ!?)に贈り物の羊をプレゼント。

最後には、バスターミナルの除幕式。(って、インフォメーションが書いてあるところに紙をはっただけのをぴりぴりやぶっただけ。) 一応、首都の他に、ボボデュラッソという第二の都市にも路線開通したようです。万歳。
 

この後たぶん、飲み食いのパーティがあっただろうけど、ごちそうに突進して食べまくるブルキナベについていける自信が皆無だったので、同任地の隊員も誘って、同僚カリファの家へ。

このおうちには、たまに遊びに行かせてもらってます。(テレビあるし!) カリファの4番目のおこさまも、最初行った時は、ちっこい赤ちゃんだったのですが、もうすっかり大きくなって、あたりを走り回っていました。

退避前は、白人(黒じゃなければ、白なの。こっちでは。)が怖くて泣きまくってましたが、いまはなんとなく距離を保って、こっちをがん見です。








いつもながら、マンゴーの木下にいすを置いておしゃべり。マダムお手製のリグラ(り=米 グラ=油)を出してくれました。彼、イスラム教なのに、いつもいくと、わざわざお酒を買ってきてくれます。
  
「今日は心行くまで酔っ払うのだ!」と、ビールやらラム酒やらワインやら・・・。冷蔵庫がないのに、氷までだしてくれて、本当に申し訳ない。ここは、もう思いっきり、食べて飲むしかない!ってことで、昼間っから、相当酔っ払いました・・・。(ばんちょ〜、いっぱい飲ませてごめん・・・。)

  
4番目の息子と3番目の息子。日本の帽子に興味津々。

この後は、ひたすらしゃべりまくりました。ブルキナであったこと、日本であったこと、いろいろと。ちょっとびっくりしたのは、カダフィー大佐は、アフリカの民を助ける人で、彼らには英雄である、ってこと。先日、コンパオレ大統領は、受け入れを正式否定しましたが、それについては彼らは非難してました。ブルキナの騒動は一応鎮静化してますが、やっぱり政府のやり方には、色々不満があるみたいです。

夕方はたけとんぼで遊んだりしましたが・・・いや〜。あんまり覚えてないかも・・・飲み過ぎてふらふらになって帰宅し、夕方からもう爆睡。久々に「限界まで飲み食いする」ブルキナ式のお呼ばれ、堪能しました・・・。来月の祭りでは、要対策です。

それにしても、この国の人たちの歓迎っぷり。本当にありがたいです。彼のお給料額を知ってるだけに、このもてなし、ちょっと心が痛くなるくらいです。

私ができることって、本当に少ない。けど、彼らは、全力で私たちを受け入れてくれる。あと半年。何かが残せるかははなはだ自信はないですけど、友人のブログにもあったけど、こうした人たちとの出会いが、一番の収穫なのかも・・・と、しみじみ感じました。

ただいま、クドゥグ。
Bonjour! 任地に帰り、廃墟になっていた我が家の掃除をし、滞納していた請求書を片付け、やっともとのおうちとライフラインが戻ってまいりました。ふ〜。
疲れた。みなさん、さばですか?

いや〜。ブルキナベの歓迎っぷり、半端ないね〜。

「おかえり!」「久しぶり!」「日本の家族は元気だった?」みんなみんな、大歓迎。彼らの喜びようと笑顔を見て、あ〜、帰ってきたんだなあって心から思いました。
言いたい放題の人たちは、「いったい、どこいってたの?」「何で何も言わないで日本に帰るんだ!」「何で俺を連れて行ってくれたかったんだ!」うん、なんか、ブルキナベだな〜って感じ。ほんと、みんな変わらないな〜と。

相変わらずといえば、町を自転車で走ってても、刺さる視線。
「ぽこびー!おかえりー!」ってあちらこちらから叫ばれ、「なさーら!(現地語で白人!)」「じゃぽね!」「シノワ!」 ・・・いやはや、日本にいた時のように、ふつーにさらりとは通り過ぎることは許されないですな、相変わらず。

会う知り合いには100%「太ったね!」といわれる悲しいおいら。職場のマダムには、腰の肉をつかまれ「こんなん、前なかったわよ!」と言われ、服が入らないというと手をたたいて爆笑され・・・ちくしょ〜!なんとか退避以前の体重に戻さないとな〜。

変わったことといえば、わが愛猫いわし!
電話では生きているよ〜とは聞いていたけれど、ほんとかいな?と疑っておりまして。この目で見ないと・・・・と思って帰宅してみましたら。なんと・・・子供をつれていました!


うちのムスメがいつの間に!!!こんな針金のように細いわが子がコドモを生んだなんて!もともと細い子でしたが、ガル(警備員)に託したお金が尽きてからは、自力で暮らしていたみたい。餓死寸前か!?と思うほど、がりがりにやせていました。(涙)

早速肉をあげたからなのか、いやいや、その前から家の中には入ってきたし、私を飼い主と認識しているらしくすりすりしてくるいわし。外猫になっていたので、ノミが気になるところですが・・・ウイヤツです。







こちらが、新登場、「あじ」。真っ黒な子猫です。(目が怖い・・・びーむ!)

本当は3匹くらい生んだみたいなんだけど、亡くなってしまったみたいで。このあじも、まったくもって人見知りしていて、近づいてくるのがやっとですが・・・まあ、そのうち慣れるかな〜。いや、慣れてくれ!


おうちのほうは・・・ええ、それはそれは、すごい廃墟で。入ったとたん、変なにおい。(多分、トカゲの糞のせい。)ホコリだらけで歩くのもためらわれ。水がでなかったので、掃除もままならず・・・


任地に戻って2日目にやっと時間ができたので、支払い関係を済ませ、友達を呼んでひたすら掃除。ブルキナベ、本当によく働きます。きれいにごみを取り、雑巾で床もどこも磨き上げてくれました。


ほこりまみれで色が変化してしまったシーツ。(裏と表ね。)

あり塚は、そんなにたくさんはなかった(7個くらい、シンプルなヤツができてた)けど、シャワースペースとトイレの排水溝に巣ができてて、どけたら数万(!)という大群が床を埋め尽くす始末。写真撮る気力もなかったよ〜。
 
シロアリの巣(通り道?)やつら、壁にも巣を作るので、かけていたカレンダー落とされたよ。

玄関のぶどうの支柱も、暑さとありにやられて倒れたみたい。ドアまで行くのが大変だし、いってもドアは開かないし、大変だったわ〜。
 

お友達のおかげでなんとか掃除は終わって、帰郷3日目の本日はほぼ前の暮らしに戻りました。まだ町を歩くと、その刺さる視線とこれでもか〜の挨拶攻撃にうんざりですが、徐々に慣れていければと思います。

そんな感じで。明日からは、きょーふの仕事復帰です。またレポートします。
ただいま、ブルキナファソ。
Bonjour!
ブルキナファソに無事戻ってきたOyoです。

緊急退避して、実に4ヵ月半。長い長いお休みでした。
雨季も終わりに差し掛かり、すっかり気候の変わったブルキナファソ。飛行機から見下ろしても「緑が多いな〜。ため池ができているな〜。」と人目で変化がわかるほど。降り立ってみると、確かに日本より少し暑いけど、前回出国する時とは比べ物にならないほど、過ごし易くなっているような気がします。

戻ってきて感じることは・・・ う〜ん、意外に「普通」だなってこと。
ブルキナベは、依然と同じように陽気でいい人たちで、道には動物たちがうろうろしていて常に鳴き声が聞こえていて、大地は埃っぽくて赤茶けていて、相変わらず停電ばかりで。

でも、この「普通」になるって言うまでが、きっととっても大変な道のりだったのだと思います。昨日は、JICA事務所で、改めていろんなオリエンテーションがありました。その中で、私たちの退避後の状況を詳しく所長から聞き、改めてここ数ヶ月でブルキナファソで起きた一連の事件の大変さを知りました。市民を守る側が市民を攻撃したこと、起こった危機は「国が崩れるような」危なさを持っていたこと。アフリカでも、もっとも平和で温厚といわれていたブルキナファソが、脆弱国家として見られるようになってしまったこと。「今年はブルキナベにとって歴史的な年だった。一番傷ついたのはブルキナベ」の言葉は、一連の話を聞いた後では、本当に心に刺さるものでした。


 
↑ いつも行くスーパーにも、略奪の爪あと。しっかりと銃弾の痕跡が残ってます。(あちゃん、写真ありがとー)


週末の今日、町を歩いてみました。
町がなんだかきれいに感じたり、声をかけてくるブルキナベが意外にしつこく感じなかったり。照り付けてくる太陽はやっぱり暑いけど、前とはなんだか違う感じで。なによりも、いままで一緒にいた仲間がいなくなっているということを、改めて実感しました。きっと任地に戻ったら、また前のような生活が始まるんだろうけど、やっぱり何かがぽっかりとなくなっているような、そんな気がしてならないブルキナファソなのです。

私は予定通り、2012年の3月末に日本に帰る予定です。
この空白の期間で失われたものはたくさんあるだろうし、少なくなった残りの期間でやれることはすごく限られてしまいました。

でも、4ヶ月ちょっとの一時帰国で、見えてこなかったものもたくさんあったし、この時間を後々どんなものとして位置づけられるかは・・・・本当に私自身の行動だったり、考え方次第なのかな、とも思います。「おかえり!」って言ってくれるブルキナベのためにも、前を向いて一緒に進まないとな、と帰ってきて改めて思いました。

なんだかくそまじめなエントリーになりましたが。私たちはとにかく元気にやってます。また任地に戻って、普通の生活ができるようになったら、アップしますね。あびあんとー。
ストレス発散→料理
Bonjour!変わらず、暑いブルキナです。

こっちにきて。週末のストレス発散は・・・買い物と料理です♪
今週末は、隣町Reoで野菜祭りがありましたので、まとめ買いのチャンス!これは行かなくてはどうする!?ってことで、さくっとお出かけしてきました。

たまねぎ、にんじん、きゃべつ、ピーマン、マンゴー、バナナ・・・ううーん、何種類あっただろう。十数種類の野菜の出来具合を競い、優勝したら賞金(25万F!)と肥料やリヤカーなど、農業に役立てられる景品をもらえるらしいです。
しかも「そこで受賞した人の野菜を食べれば、1年健康に暮らせると言われてもいるらしく、みんな必死で野菜を作ってもって来るみたいです。なんてすばらしいコンテスト♪(でも、コンテストの写真は、暑すぎて撮るのを忘れたと言う・・・。ドマージュ。)

コンテストの後は直売もあったので、名物の豚の丸焼きをしっかり食べた後、参戦してきました。この間セネガルにバカンス行ってからと言うもの、金銭感覚が狂い、お財布の紐がだらだらに緩くなってしまったので、しこたま買い込んでしまいました。

で、仕事の資料ができないストレスのたまった本日、日曜日。PCに向かうのに疲れたので、せっせと野菜の調理。ここでは、乾季になると野菜が消えるので、今のうちに野菜を確保しておかねばならぬのです。(日本みたいに、いつでも手に入るわけじゃないからね〜)

・大量に買ったトマトは、湯むきして冷凍保存。もしくは、ソースにして冷凍。
・バジルは、乾燥させて調味料に。(1日で自然乾燥でからから!)生のバジルは、刻んでオリーブオイル漬けに。
・たまねぎは、薄切りにして、酢漬けに。
・にんじんを皮むき機で薄くむいて、バジルオイルとバルサミコと塩コショウでサラダに。
・生姜は、薄切りにして紅生姜(紅じゃないが)に。
・きゅうりやにんじんは、棒状に切ってピクルスに。
・ジャガイモを大量のポテトサラダに。(マヨネーズよりマスタードの方が安いから、こっちを大量使用。だから、卵はいってないのに、黄色い。)


本当は、トマトもドライトマトにしたかったのですが、なかなか難しかった(ハエが多いからね〜)ので、こちらはすでにできているものを購入。あとは、天気のいい日を見計らって、にんじんの輪切りを天日干しようと思います。


こっちに来て、現地食があまりにも油が多すぎるっていうのもあるんだけど、前より食べ物を調理することに関心が増した気がします。
時間がいっぱいあるし、ありがたくも日本から食料を送ってもらえているのもあるんだけど、丁寧に工夫して料理して、おいしく食べるって大事だなあと。食べる→生きる なんだなあと。
ブルキナベも、品数はすごい限られてて油っぽい料理だけど、見てると本当に丁寧に時間をかけて(しかも、炭とかで)料理します。限られた食材しかないのに、それをうまく使っておいしく作る。しかも、お肉は、その場で生きている動物をさばくケースが多いから、小さい子供も、その大切さもちゃんと分かっているような気がします。

日本のハハも、せっせと野菜を栽培し、沢山保存食を作っています。多分、ムスメは、そういう姿を見ていて、自然にやるようになったのかもしれませぬ。私は、まだまだ上手く保存食は作れないし、そもそも料理がそれほど上手ではありませぬが・・・ここでも、そして日本に帰ってからも、「食べる」ことを丁寧に大切にしていきたいなあと思う今日この頃です。
Huit mars (8/3)なんですけど。
本日、ゆい・まるす=le Huit Mars = 8日 3月。
国際女性デーです。

この日に合わせて、みんなユイマルスの布を買い、自分の服に仕立てます。
ワタクシも、アンサンブル(上下セット)とパンタロン(パンツ)、シュミーズ(ブラウス)を仕立ててもらいました。

で、これを着て、街で行進の予定だったのですが・・・・。(→あっちゃんのブログにあるみたいな、こういうやつね。) うちの地方でお祭りがある予定だったRéoにて、お祭り当日なのにデモが起きてしまいまして。またもや、県局が焼かれ、まさかのお祭り中止。残念すぎ!!


ということで。クドゥグ隊員、こぞっておいしいものを調理し、食べることにいたしまして。
 
豚をさばいているところに行き、よさげな部分を選んでお買い上げ。部位はよく分からないのですが、油がのった、ミンチ肉に調理しやすいところをお買い上げ。

家に帰って、きれいにばらし、皮や骨はとんこつスープのだしに。








いっぱい野菜を切って、肉のミンチと混ぜ、餃子皮。とにかく、全部手作りです。Y氏、さすが! 
 
 
 本日のメニューは、ちらし寿司・春巻・水餃子・サラダでございました。実は、Y氏が来て以来、はじめてみんなが揃って、もりもり食べるご飯でした。最高ですな〜。 

 ええと、あとは・・・8日からConjé(休暇)をいただきました。10日間。ちょっくらセネガルへ行ってきます。同じ西アフリカだけど、宗教も違うし、発展度合いが違う。きっと、いろんな新しいことがあると思います。またブログにします。

2011年の女性day。行進はなかったけど、Koudougouジョシ+新隊員のダンシで楽しく過ごしました。いつもご飯、ありがとう〜。

ねずみ祭り。
ふつ〜に仕事をしていた、ある日の午前。同任地の先輩つこさんからお電話。

「ねずみをもらったのだけど、一緒に食べない?」

・・・・ね、ねずみですね?

あの。こういうの。→ 


早速、同じ役所で働いているお料理上手な隊員Y氏を誘い、番長氏 も一緒に、お昼休みに先輩の家に伺う。

そこには・・・
※ちょっとグロイ画像でごめんなさい。

先輩の家のガルディアンが、罠を仕掛けて捕獲、開いて内臓を出して燻製にしてくれたとのこと。

でも、形や構造は、ねずみそのもの。

在りし日のお写真。(※先輩ブログより拝借。)普通にねずみです。

さすがねずみ。ネコがほしがります。(※遠近法が間違っているように見えるのは、ねずみのサイズがおかしいからです。)

手と比較するとサイズがわかるかな?しっぽなんか、巨大ミミズに見えてくる。こないだ役所でとったねずみ、確かに小さいってわかる・・・。(普通だけどね!)
「どう料理しようかな〜♪ソースは濃い目の方がいいかも・・・。」果敢にも頭・手・尻尾を切り落とし、皮をむき、調理にかかるY氏。ステキ!彼がお料理している間、おいらは先輩としゅわしゅわ泡の出る飲み物(仕事中の昼休みなのに。)を買いに行くという・・・。ま、ジョシってそんなもんよね♪

ばらされ、一度焼かれたお肉。知らなければ、鶏肉だと思ってしまう感じじゃない?

Y氏により、トマト煮風に仕上げていただきました。

その他、先輩のガルがくれた、トー avec ねずみ肉入りソースも食卓に。お肉は・・・鶏肉よりちょっと固く、ちょっと臭みがあるある感じかな?ねずみであるといわれなければ、普通に食べられます。(いや、普通に食べたけど!)

また食べたいか?と聞かれると、まあ、かなり微妙な感じですが・・・。またひとつ、大人の階段を上った気はするかも?
以上、Kougoudou隊員によるねずみ祭りのご報告でした。大変貴重な経験でございました。ご馳走様でした。


Koudougouでの学生デモ
みなさま、Bonjour!Ça va ですか?

こちらは、珍しく"Ça ne va pas!" で、今週のわが街 Koudougouですが、かつてない大騒ぎ→デモで。火・水は仕事にならず、木・金は仕事自体がお休みという事態。"Koudougou a très choud!"(クドゥグが熱い!)と、ブルキナベも大騒ぎでした。

事の発端は、2月19日に、警察官に暴行を受けて入院していた男子学生が死亡し、翌日に「学生は病気(髄膜炎)で死亡」って発表されたことに対する、学生の抗議運動。デモは22日火曜日に始まったんだけど、この日は学生が警察(治安部隊)に抗議運動という感じでした。学生が石を投げて、警察署や地方局で抗議運動し、機動隊と衝突。でも、ここで怪我人がでたみたい。で、夕方には静かになったんだけど、デモは翌日に持ち越されました。この日は、市役所は窓口は9時に閉めちゃったけど、普通に(っていうか、だらだら)夕方まで働きました。


で、あけて翌日。出勤すると、市役所内にも、武装した治安部隊(SWATみたいだった!)が待機している。どうも、警察局にプラスして、お隣の地方局とその前の知事邸とかでも揉め事が起こりそうとのこと。
地方知事との話し合い(学生の死に対するコメント、知事側からの謝罪)がうまくいかなくて、結局、この日は9時くらいから15時過ぎまで、組織だった何百人もの学生などにより、町の中心は埋め尽くされ、機動隊と衝突。地方局や県庁舎、警察署、治安部隊増員の要になったSTAFのバス停などなどが標的になり、町のあちこちでタイヤが燃やされ、石を投げる学生と催涙弾や空砲、実弾を使って威嚇する機動隊との間でこぜりあいが続き、一日中破竹音や銃声、警笛の音、人の叫ぶ声で、市内は騒然としてました。


おかげで、市役所も封鎖。業務もストップ。(やろうと思えばできるけど、ま、状況的に。) 閉じ込められてしまったので、14時過ぎまで外に出れず、2Fバルコニーから市内の様子を見ていたのですが・・・。
何百人と言う学生が押し寄せ、石を投げる。シールドとヘルメットで武装した部隊が、空砲や催涙弾を投げて応戦・・・・そんな、テレビで見るような騒乱シーンが目の前で起こっていて、現実である証拠に、催涙ガスが流れてきて目が痛くなったりで、「なんだか大変なことが目の前で起きている!」という感じでした。お隣の裁判所は門が外されてバリケードに使われ、暴徒化した生徒がたまに塀を越えて敷地内に入ってきて、市役所内の木も燃えちゃったりして、ちょっと恐かったです。

14時半ごろ、空腹と暑さに絶えられず、停電で建物内は暗いし、煙で息苦しかったので、人が少なくなったのを見計らい、市役所から脱出!その後は、家に帰り、聞こえてくる音と漂う煙に少しびくつきながら、夕方まで待機してました。こういう時、家が中心街にあるのは困りものだわ〜。

道も何メートルかおきにバリケードが張られて、投げられた石でいっぱい。うちの前にもバリケード残骸。
 

焼かれたタイヤがあちこちに。催涙ガスの残骸もちらほら落ちてます。
 

騒乱の中心地の市役所の正面も、飛んできた石で壊されちゃいました。道路もクロこげ。
 
標的のひとつ・地方局。2日目は、周辺は煙で何も見えないくらいでした。 
建物は全焼。壁もほとんど壊され、敷地内の車も12台、クロコゲです。
 

  
↑よく見ると、車の部品を盗んでいる人ばかり。しかも子供が多い。騒ぎの後は残骸から色んなものを持っていく・・・これが現実。

3日目の木曜日は、仕事はお休みでしたが、市内の騒ぎは収まり、大分静かでした。どうやら周辺の町や首都に飛び火した模様。(隣町Réoでも県庁と警察署が焼かれたみたい。)事態を見て、閣僚会議が開かれたらしく、国レベルでの対応になったみたいです。結局、学生側に死者2名、治安部隊にも多数怪我人が出てしまったとのこと。学生達は知事の辞任及び、学生を殺害した警官に対する厳正な法の裁きを求めているそうです。

事態はまるで数十年前の日本の学生運動とかみたいでした。学生はグループに分かれて、各リーダーの指示の元に戦い、要求を突きつけていく。「こういうの日本にもある?」って聞かれたけど。ちょっと昔ならともかく、いまの日本ではもうありえないでしょうね〜。先週も、隣のコートジボアールでの政治的問題(大統領が2人いて混乱状態)に対して、ブルキナ大統領の働きかけを促すデモがあったりして、この国では体勢に対して国民が関心を持ち、実際に行動を起こしています。もしかしたら、北アフリカの事件に触発されたところもあるのかもしれないけど、実際にこういう騒ぎが起こりうる場所にいるんだと実感すると共に、先進国との違いを感じる事件でした。
生きてるよ〜
おひさしぶりでござります。Oyoです。生きております@ブルキナファソ

なんだか、しばらくネットにいなかったせいで、ご心配おかけしてしまったみたいで。連絡くれてた方々、すみませぬ。

先週の金→日とネットがだめだめだったのと、日→水は、健康診断のため、首都に上がっていました。ドミでもネットが通じず、しばらくオフラインでした。

健康診断そのものは「とれびあ〜ん」と言われるほど、ステキな数値を出すことができたのですが、検査直後にご馳走を食べてから、通称「お腹パンパン病」と言う、誰もが一度はかかるブルキナの奇病にかかりまして。寝込んでおりました。

健康診断の診断結果を聞いた際に「こんな症状なんですっ!」って訴えるも、お医者センセイ「Y a pas de problem(問題ない)」と。薬もでないし、人のいるドミで寝てるのもどうかと思ったので、無理やり任地に帰ってきました。2日くらい下痢・嘔吐・熱などなどで、なんにも食べられませんでしたが、今日から何とかおかゆを食べる気になりました◎ブルキナベに言うと、次々とお見舞いに来られ、ちっとも養生できないので、こっそりドアも窓も閉めて寝ています。笑

とりあえず、生きてますよってことで。
あ、ネットがなくてアップできなかった記事も、下にアップしました◎

羊の頭、はじめました。
・・・それは、仲良しの友人エドワードのMaquies(屋台居酒屋)でのこと。金曜日や週末にビールが飲みたいときは、結構お世話になっておりますが。どうやら、最近は、羊の頭が人気らしいです。

エドワードのところのお手伝いの子。→


ええと、それは後においておいて・・・。



日曜の今日は、そのエドワードの知り合い(?)の村へ、合同お葬式の見物へ。
お葬式、とはいっても、そこで実際に埋葬が行われるとかではなく、よくわからないのですが、前年(?)亡くなった人たちのために、みんなが集まって騒ぐ・・・みたいな感じでした。
 
人がいっぱい集まり、なぜかダンスあり、お決まりのドロ(地酒)の飲みまくりあり・・・で、なんだかよくわからない状態の村訪問。久々の村だったなあ〜。
 

で、帰ってきたら、この羊の頭が用意されてて。「今日は味見ね!」ってことで、少量をおごっていただきましたが・・・なんだか、まったり〜した食べ物でございました。

前日きっちり頭を半分食べた先輩の言では・・・脳みそは白子のよう。目玉もやわらかくて、他の部位は豚足のやわらかいバージョンで、ビールが進む!らしいですが。暗闇で食べるのが、正解かもしれませぬ。

ちなみに、周りの人たちは、みんな羊の頭を注文して、それはそれはおいしそうに召し上がっていました。どうやら人気メニューのようです。あたしは・・・ふつーの羊肉でよいかな、と思った本日でした。

隣町の週末
週末は、ダイエットを掲げたKoudougounaise(クドゥグジョシ)、飲み倒しました。ごめんなさい、お酒やめるなんて、うそつきです。(誰も信じてないか・・・)

木曜日から始まり、金・土と、Maquis(屋台)でアラシッド(ピーナッツ)と串焼きやらムトン(羊)をつつきつつ飲む。日曜日は、友達の車で隣町のReoの21(Vingt et un)→21日に1回のマルシェへ。そこでも、Porc au feu(焼き豚)を食べながらビール。移動して、違うMaquisでチャパロウ(ドロ・地酒)を飲みつつ、踊る。
 

↑この青い樽にドロ(チャパロウ)がはいってる。飲んでるときも、ぷくぷくと醗酵中。おいしいのはおいしいんだよね〜。

 
いったいどれだけ飲んで食べるんだか〜って、自分たちにあきあきしてたら、いつの間にかに週末が終わってました。がちょ〜ん。
 
ま、こんなもんか・・・。平和な週末◎