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外務省と地方分権省訪問と、レセプション
ぼんそわ〜。首都・Ouagadougou(ワガドゥグー)に帰ってきたOyoだす。さば?

ええと、そういえば。ボボデュラッソとワガドゥグーの位置関係はこんな感じ。バスで5時間くらいです。バス停は大混雑。荷物は恐ろしい積載量。
 

やっぱりワガは暑いです・・・。

配属まで隊員連絡所に寝泊りしますが、到着直後に停電。さすがワガ。

早速、グランマルシェに買い物にもいったけど、暑すぎて黒こげ。13時から16時はお店も全部閉まっちゃいます。





今日は朝から外務省訪問と、自分の任務に直結する省庁の訪問がありました。外務省は・・・・結構大きい建物で、なんだか国際会議をするかのようなお部屋で、外務省の主にアジアパシフィック担当の方たちと、簡単なミーティングをしました。
 
みたことのないくらい広いお部屋。壁上部には、ずらーっとエアコン。ありすぎじゃ・・・・?

テレビや新聞の取材も入ってたようです。って、テレビぜんぜんみないから、どんなになったのやら。ともかく、ブルキナベの政府関係者の方には「来てくれただけで、ブルキナベにはすごくいいことだ」と大歓迎でした。


夜は、3次隊の先輩も一緒にブルキナボランティア関係者が出席する公式レセプション参加。ここでも気張って正装。

▼同期女子たちと。
▼ブルキナベの方たちととってみた。  ▼ごちそうを覗いて驚くおいら。
 
 
結構偉い方にもお会いし、たどたどしいフランス語でお話。うわさで聞いていた通り、結構皆さん忍耐強く聞いてくださり、ちょっと感激。でも、やっぱりブルキナベのフランス語、普通にしゃべられるとわからない・・・。(涙)これで仕事ができるのか、かなり謎ですが、まあできるところからがんばるしかないかな〜。

仕事につながりそうなコネ(なのか?)もできた感じ。電話はハードルが高いので、まずはメールでも書いてみるか・・・。


▼プールもあり。くつろぐダンシたち。 ▼先輩ジョシたちと。みんなそれぞれのブルキナ服。
 

これで公式訪問は大体終了かな〜。後は、来週少しオリエンが続き、7日には任地に行きます。どきどきだ〜。

ブルキナベっぽいカッコをして、なかなか楽しい一日でした。任地にもいい仕立て屋さんと染物やさんがあるので、もっと洋服は作ろうと思います。誰か日本で結婚式やったら、ブルキナ服で出席するよー!(もうないって?)

そりでは。またねー。

PS:写真提供の同期のI氏にめるしーぶくー。
語学研修、終わり。

今日で語学研修が終わった。

アフリカについて、何がなんだか分からないうちにやってきた学校。28泊29日。こう過ぎてみると、あっという間だったとも言えるけど気の遠くなるような空白の時間を感じた期間でもあった。

最貧国のこの国で。この一ヶ月、いったい、私は何を見て、何を感じて来れただろうか。


語学学校と言う、塀に守られた生活。電気も水道もある。ご飯もついてる。不自由といったら暑いことくらい。恵まれた暮らしだったから、一瞬ブルキナにいることを忘れそうになった。
けど、一歩外に出ると、すかさずよってくる子供たち。かえっていかにその空間が、特別なものであるかを思い知らされた。


ブルキナファソの9割がしているだろう暮らしを見るために、村ステイをした。


でも、それも本当の暮らしを見たとは言えるか分からない。だって、私は、何も・・・・しなかった。村を歩き、人に挨拶し、木陰に座っていただけだから。時間になれば、お母さんたちが何時間もかけてつくったご飯が出てきて、それを食べただけだから。一日の終わりには、一杯のバケツの水をもらい、体を洗っただけ。お客さんとして、ただただ、もてなされただけだから。

私が居心地悪さを感じて、ただただそこにいるしか出来なかったその時間に、村人たちは、子供たちは、動物たちは、みんなが何らかの役割を果たしていた。ただ、私だけが、無意味にそこに存在だけしていたような・・・そんな気がした。すごく居心地が悪く、いや、正確に言うと、場違い。自分自身に違和感がぬぐえなかった。


その違和感はずっと続いていて、語学学校でも、私はお客さんだった。慣れない気候。自由にならない言葉。不満を募らせ、違和感をひたすら感じ続け、そんな自分に焦り続け、ただただ空回りした期間みたいだった。


来月には配属になる。本来の目的の「ボランティア」が始まる。でも、それって、何なんだ?

村人たちは、カメラを向けたら喜んだ。けど、どうしても、私は求められないと、カメラを出す気がしなかった。写真を撮ったけど、いったいそれが何になるんだろう・・・シャッターを押すたびに、むなしさを感じた。


私がこれからする仕事は、本当にブルキナファソの人のためになるんだろうか。村で感じた、むなしさと同質のものを感じるだけなんじゃないだろうか。


アフリカに来る前から、そして来てからも、自分の中で持っている疑問。「ブルキナファソにいる意味は、なんだろう。」

答えが出るかは分からない。いいのか悪いのか、そんな判断があるのかも分からない。けれど、私にとって、何らかの意味はあるんだろう。きっと。
「アフリカに戻ろう」ただ直感でここにきた。その結果、なんだかよくわからない日々が積もってしまった。・・・・そんな終わり方じゃない、何かが残るといいな、と思っている。


最初の1ヶ月。語学は上達したとは言えないけれど、いろんなことを感じ、考えることが出来た。苦い思いばかりだったけど、必要な不要な時間だったような気がしている。少なくとも、私にはその不要な時間は必要だった気がする。


本当に、お世話になりました。

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そうそう。この1ヶ月、同期とずーっと一緒に過ごしました。あまり娯楽もものもない生活だったけど、しゃべったり、映画や音楽をコピーさせてもらったりで、結構いい時間を過ごせたかな。何よりも、次々と遊びを考えて、楽しく過ごしているみんなに楽しませてもらいました。ほんと、あなたたち、すごいよ〜!

そんな愉快な同期のたちブログはこちら。ブルキナの楽しい生活が見れるよ〜。


[写真]りょうくん、提供メルシ。
上:ずっとご飯を作ってくれたお母さん。おいしいご飯、ありがとー!
下:おそろいのTシャツ作ってきたので、そのプロモビデオ(?)を作った時の。Tシャツはブルキナベに大人気!

ブルキナ服、第二弾完成!
はろはろ〜♪
今日はすっごい涼しいね〜、過ごしやすいね〜・・・と温度計を見ると、気温36度。あれ?じゃあ、暑い暑いってバテてとろけている時って、いったい何度なんだろう・・・・?もしや、50度で振り切れている温度計は本物・・・? なんだか、感覚がイカレてきたブルキナファソのOyoです。


ボボ生活も終盤が近づき。とうとう、頼んでいた正装が出来上がってきたよ〜!あ、もうひとつ、ちょっとおしゃれ目のツーピースも一緒に。

じゃじゃーん。
 
ちょいと写真小さいけど、見える?(左が「バザン」っていういい布で正装。右はシックな普段着(?)用。)

作ってくれたお兄さん(?)これでも、40ウン歳。ちょっとおねえはいってる感じですが、それがまたジョリー!注文にこたえてくれるだけでなく、その人の雰囲気に合った感じでデザインして作ってくれます。今来ていらっしゃるのも、自分で作って刺繍したみたい。ポッケに「ほら、ボクの名前入り(ハート)」って嬉しそうだったよ。

バックとか、カメラケースとか・・・そういうのも対応。(これは同期のポシェットだよ。)チャック付つき!

工場はこんな感じ。端っこに、ぽつんと足踏みのミシン一台。アイロンは、墨で赤々と熱した鉄製。(なので近づくとかなり暑い。)電気がないようなので、暗くなるまでお仕事されてるようです。

お兄さんのすごいところは、お直しもさささっとやってくれるところ。採寸して作るものの、着てみたらちょっと大きかったとか、丈が長かったりと蚊、少しウエスト搾ってほしいとか・・・そういうのも、きちんとフォローしてくれます。いやん、ステキ。


ちなみに、こんなに細かい刺繍が入っているのに、5時間くらいで出来るそう。ちょっとイメージお伝えして、こんな形がいいなあ〜って伝えるだけで、期待以上のものを作ってくれました♪

ミシンひとつでただの布っきれが、ゴージャスになっちゃうのって・・・天才!だよね。









同期の服たち。ジョリー! それぞれの個性に合った感じで、いい感じで仕上がってます。すごー。
 
ボボに住んでいたら、通っていっぱい作っちゃいそう。任地のクドゥグでも自分にあった仕立て屋さん、見つけられるといいな〜。

今週末にレセプションがあって、そこでみんなで正装するので・・・着てる写真はまたアップするね。
1ヶ月がたって
ボンソワ。相変わらず、暑いアフリカです。こないだは、砂塵で世界がセピアでした。こんな色になっちゃうんだよ〜。

さて。今日は25日。ブルキナにきて、一ヶ月がたったことになります。

振り返ってみると・・・


  あたし、いったい何してたんだ!?


そ、そんな感じ?

続きを読む >>
ブルキナ服、第一弾。


日本では雪が降ったり、欧州では火山が噴火したり・・・なんだか異常気象みたいですね。みなさま、お元気ですか?

ええと、アフリカは・・・ただただ、あちぃです。もう少しで雨季が来るので、蚊が出てきました〜。マラリアが心配です。(恐)それでなくても、頭が溶けているので、ぶつくさ言うより、暑くてもちゃんと自己管理が出来るような訓練が必要だなあと思います。

今回は服の話。ブルキナファソでは、西洋の既製服を着ている人もいるのですが、オーダーメイドで自分の服を着ている人が多いです。あちこちに仕立て屋さんがいっぱいあり、布は同じ柄がないんじゃないくらい、これまたあちこちで売ってます。

(←左の写真、友情出演の村のおばあちゃんたちです。彼女たちもユニーク服。)みんな、自分の服を大事にして、長く着ているようです。


あたしも、ブルキナベっぽく、簡単なワンピースですが、作ってもらいました。結構暑いんで、シャワーあがりとかにいいかな〜って思い、仕立ててみました。人生初(かな?)、オーダーメイドです♪

今の学校の近くの仕立て屋さん、歴代の隊員がお世話になっているところなのですが、なかなかいい仕事をしてくれます。写真とか雑誌で、こんな感じのデザインで〜ってイメージをお話し、袖の長さとか裾丈とか襟の感じとかを話して、全身採寸してもらいます。ここはこれくらい詰めて〜とか、ここはこんな長さでと話し合いながら決め、市場とかで買ってきた好きな布を渡すと、オーダーメイドで仕立ててくれます。ブルキナベのダンシ、ぱぱぱっと作ってくれて、家政の隊員の子もびっくりの仕事ぶりです。

今日出来てきたのがこんな感じ。布が日本円にすると500円くらい、仕立て代が400円くらいだったかな?帰って来てよくよく考えたら、いつも着ているインド服にありがちな柄なので、いつもと同じようなテイストになってしまったのがザンネンですが・・・。気に入ってます。


調子に乗り、今日は追加で二着お願いしました。一着は、こっちの正装で公式な行事にも着ていけるものにしました。結構高い布を買ってきて、がっちり刺繍入りで作ってもらうことにしました。もう一着はツーピースのこれまたオリジナルデザインで。出来上がりが楽しみです。仕上がったらまた報告します♪(って、いらないって?苦笑)

あ、それとね。村ステイでもらった鶏・ソゴサガは元気です。毎晩同じ柵にとまって寝てて、なかなかウイヤツ〜と思い始めてしまいました。でも、どうも、多数決で、いつかの夕飯になると決まっているみたいです・・・。(涙) 

そんな感じで。とりあえず元気です〜。またねー。

ブルキナ・ウルルン滞在記UPしました
村ステイから帰りました。4月12日の日付で4つ記事をアップしたので、下のほうから読んでね♪
村ステイを終えて。〜人間の幸せ、発展・・・って?
今回の村ステイ。楽しいこともあったけど、正直、つらかったです。


ひとつには、自分の無力さを感じたこと。

子供たちに囲まれて・・・何をしてもあげられない。何かをあげることもできない。せいぜい折り紙を折ってあげるんだけど、子供の数が多すぎてみんなにあげることができず、返ってきまずい。現地語もぜんぜんわからない。せめて医療の知識があったら、農業の知識があったら、技術があったら・・・何度も思いました。ほんと、無力だなあと。


でも、私がステイすることで、村の人は食べ物をもらえる。日本人を少し知ることが出来る。少なくとも、「フォトビー!」っていって、自分の姿をカメラを通じてみることが出来る。それだけでも、よかったかな・・・と思ってみたりもしました。



もうひとつには。発展ってなんだろうって。

村には無駄なものはない。子供たちはみんな集まって遊び、ぼろぼろの布をつなぎ合わせて、ゴムとびをして遊ぶ。日本みたいにおもちゃにあふれていないけど、みんな一緒に集まって遊ぶ。小さい子が、より小さい子をだっこし、大きい子は小さい子がけんかしているのを諭す。

食べ物はみんなで分け合う。動物を屠殺して、それを大人か大きい子供が斧で細かく刻む。小さい子達が内臓を分けて、腸を棒で蒔く。その腸には血や肉を詰めて、ソーセージにしてご馳走に備える。マンゴーの皮やタネは、その辺に捨てるけど、それを鶏がついばむ。食事に少し入っているお肉はきれいに手で肉をはぎ、骨をばら撒くと犬がすかさず食べていく。人間が使った水はくぼみにたまって、豚が水浴びする。枯れ木は倒され、まきになったり、家畜のえさになる。

とにかく、捨てるって言うことがない。自給自足・・・とは言えない暮らしだけど、輸入に頼らず、畑を耕し、決して肥沃でない大地からの恵みで暮らす。

ホストの家族に質問をした。「この暮らし、幸せ?」みんな返ってくる答えは一様だ。「うん、この村が好き。」「大きくなったら、お父さんみたいな農民になりたい。」・・・・この国の識字率は極めて低く、国連の人間開発指数は世界最低レベル。

でも、ね。その基準って、先進国が作ったものだよね?自分たちの言葉(現地語はもともと文字を持たないものが多かったりするし。)を読み書きできないものは「識字が出来ない」と定義する。GNPとかGDPとか、先進国が作った金銭を基準にした換算で、数字が少なかったら「途上国」「貧国」。

村の人たちは、みんな助け合って幸せそうだった。暮らしに満足していた。例え、電気やガスや水道がなくても、それで満ち足りていた。

少なくとも、私たち先進国の人たちが忘れてしまった大切なこと。この国にはそれがあると思いました。正しい礼儀があり、助け合う精神がある。絶対にこの国では子供が命を大切にする。ここには貧困が生む悲劇はあるかもしれないけれど、先進国にある変な犯罪を起こしたりしない。


私たちが途上国にボランティアに来ている意味。その国の「足りないこと」を助けに来ているということになっているけど、本当に彼らは何かを持っていないのだろうか。私たちが、勝手にそう思い込んで、自分たちの杓子定規ではかり、勝手に彼らの価値観を壊しているのではないだろうか・・・。



きっとこの疑問は、この国を知ろうとすればするほど、解けないものなのかもしれない。もっとわからなくなるのかもしれない。そう思うと、これからの2年は意味があるのだろうか・・・・?


いろいろ考えせられる村ステイでした。こんな機会をいただけたことに感謝です。





お祭り
3泊4日の村ステイは、ええと。特に何をするでもなく、村人と話したり、学校に行ったり、昼寝をしたり、子供と遊んだり。そんな感じでしたが、3日目は、年に一度のアニミズムのお祭り「マスク」を見ることが出来ました。

ホストが「午後から行くよ〜」って言ってたので、待ち構えていたんだけど。実際に出かけたのは4時くらい?延々と1Km くらい歩いて、村の中心部にいって。人だかりができて、太鼓をたたき鳴らして大騒ぎしているところに到着。そこには・・・ ガチャピンとムックのムックをカラフルにして、気持ち悪くした感じの人と、他の普通の人が踊っている感じ。


そのマスクが数人いて、人がとにかくわしゃわしゃ集まり、その輪の中心で、踊ったりする。いまいち趣旨が分からないので、明日、先生に質問しようと思いますが、そのマスクなる人々は、ひたすら踊り、鞭で人(子供が主?)のの足元をたたき、とにかく大騒ぎ。すごい熱気で、人の臭いがすごくて、もみくちゃにされて大変でした。ほんと、ひたすらほこりほこり・・・。写真がひどいです。
  

その後は、ホストに連れられて、ひたすら村めぐり。いたるところでお酒を呑み、しゃべり、いや〜すごい時間でした。


ちなみに。最終日は、初日と同じく順々にお迎え。こんな感じのバンです。一人一村滞在しているので、ひとつの村を訪れては、人を拾い、談話(+飲み食い)し、御礼をし、写真を撮るもんだから、それはそれは時間がかかり。でも、それもアフリカ流?

途中の村では、ぷしゅーーー!って、すごい音がして、タイヤから空気が抜けてパンクしたりしましたが。なんとか無事、全員帰還したのでした。



で、この子。ひとつの村でもらった、お土産の鳥さんで、お名前は、ソゴサガ。村の名前と同じです。この国では、いついけにえになっても不思議ではありませんが(実際、隊員の一人は、一羽の鳥をかわいがっていたら、「いい鳥なのか!気に入ったのか!」って、その日の食卓にその鶏がのったらしい。)朝からつるされて弱っていたみたいだけど、縛られている紐をはずし、水を飲ませたらげんきになったので。みんなでかわいがろうと思います。

つづくー。

村の暮らし
村の朝は早い。ってのも、日が昇れば、みんな起きる。学校は早く始まるみたいで、6時半には子供たちは出かけていく。(って、日本の村と一緒ジャン!)7時くらいに日が暮れて、そこからは何もしない。オンナの人たちが洗濯したり、食事の下準備をしていたりもしますが、基本、いすに座って、ノンビリしているだけ。電気がないから真っ暗なんだけど・・・みんな目がいい!懐中電灯を使わなくても、ふつーに歩いていたりします。恐るべし、ブルキナベ。


6歳以下の子供はおうちにいるので、朝、私がご飯を食べて木の下でノンビリしていると、ぐわーっと取り囲まれる。みんな、まだ小さくて、フランス語を勉強していないので、なかなか話しかけてこないのだけど・・・すっごく人懐っこい。とにかく、写真が大好き。カメラを出そうものなら・・・もうそれは大変。写真、とってとって!と、一回取るごとに、「みせてみせてー!」と確認しに来る。自分の顔を画面で確認しようものなら、大騒ぎ。


これは大人も同じ。mミューンのコンセイエ(議員みたいなものかな?)をやっているホストファーザーは、一日2回、村の中をあたしをつれて巡回しに行く(どうも、あたしがいなくても同じ模様。)必ず、お父さんとお母さんの家を回り、挨拶をする。その過程で、村のみんなとことあるごとに座って話しこむ。で写真とってとってー。で確認、照れる。その繰り返しでした。

 


村の産業は・・・・農業のみ。今は、La saison de secheといって、乾季。なので、男たちはお休み。La saison de pleui(雨季)が来たら、畑を耕すらしい。普段学校に行っている男の子たちも、お父さんを手伝って畑仕事をするようです。

家事は全て女子の仕事。朝は近くの井戸に水汲み(ちょ〜大きい、重いタライ。)に行き、水置き小屋に置く。掃除・食事の支度・掃除は全部女子たち(複数妻がいたりする)が担当。子供の世話は、子供同士がしている感じでした。



   

ちょっと受け付けないな〜ってのが、トイレ。大きいほうはその専用の場所があって、穴があってみんなお水を持っていく。小さいほうは・・・・家の端っこにある、ちょっと塀に囲まれた小さいスペースや、そこらへんでする。

でね、でね、でね!!!!あたしが、もう無理!!!って思ったのが、この小さいスペース。ここは水浴びスペースで、一日1回、バケツに水を汲んで、そこで体を洗うんです。つまり・・・!トイレと一緒ってこと!!!

初日、ちょっと臭いな〜って思ったんだけど、それがその場所とは分からず。かといって、2日目に知ったときは、衝撃!でも、トイレにも行かなくなるくらい、汗は滝のように出るし、語学学校では一日3回シャワーをしていたくらいだったから、どうしても水浴びはしたい。それがたとえ、バケツ一杯だったとしても。

もう2日目は、真っ暗になってから、死にそうになりながらバケツ1杯の水浴びをしたのでした・・・。(あ、右の写真は、大きいほう用のトイレね。)

午後の早い時間は、それはもう暑くて、昼寝しか、いや、昼寝も出来ないくらいだったし、夜は暑すぎて外で寝るほうがいいくらいだったけど・・・ 何時間も何時間も、ぼーっと何もしないでいることや、ぼーっと夜空を眺めていることができるようになったので、何とか村でサバイバルできました。

あ、そうそう。一番懸念のご飯は・・・何とか食べられました。一日3回、主にトーと言う、前にもご紹介したけど、とうもろこしの粉を水で混ぜて沸かして固めたものに、ソースをつけて食べます。もちろん、外で手で食べる感じでした。

あ、これは髪を編んでるとこ。ファッショナブルだけど、すごい痛いらしい。よく見かける光景です。

ちなみに。寝床は、おうちの一部屋をいただき。レンガ造りの家ってのと、窓が小さくて風が入らず、トタン屋根なものだから、とにかく暑いの何の。基本、昼間でも暗いので、懐中電灯を照らすんだけど・・・・ふと見ると、クモやらヤモリやら。何か謎の虫に刺されて腫れるし。ござをしいて、その上にマットを敷き、蚊帳をつけて寝るものだから、夜は滝のように汗をかき、寝るのもやっとでした。

まさに、ウルルン滞在記。そんな感じで、続く。

ブルキナ、ウルルン滞在記
マダーユ。エティエ?
ブルキナより、Oyoです。3泊4日の村ステイから無事帰還しました♪

いや〜。サバイバルだったよ〜!今までも超極貧生活(ほら、クロムウエルとか!)したけど、今回は自己最高レベル。まさに「ウルルン滞在記」そのものだったよ〜。何回かに分けてご紹介。


えと、まずはあたしの村。ボボデュラッソから、バイクだと1時間半くらいみたい。7つのカルティエ(地区)があって、ビラジョワ(村人)は500人くらいっていうけど・・・多分、その倍くらいはいるんじゃないかな〜?結構大きい村でした。


みなはレンガ(土?)をつんだ家に住んでます。たいていの家庭がポリガム(多妻制)。村人はキリスト教、イスラム教の人もいるけど、たいていがアミニズム(伝統宗教)。ひとつの家族に奥さんが何人かいて、子供がたくさんいて、よく分からないのだけど、ばらばらのおうちに住んでます。


暮らしは至ってシンプル。電気がないので、朝明るくなったら起きる。夜暗くなったら何もしない。眠くなったら寝る。暑ければ外で寝る。煮炊きは火をおこして外のかまどで。その日に食べる穀物を臼で挽き、その日に食べ分だけ作る。年長者から食べ、残すことはしない。







人々(の大半)は至って礼儀正しい。会ったら、いつでもきちんと挨拶する。何回でも挨拶をする。訪問者がきたら、すかさずいすを持ってくる。持ってくる大半が、やっといすを運べる子供だったりする。
  

子供のしつけがしっかりしているのが印象的でした。年長者をしっかり敬う。子供たちは、より大きい子が小さい子の面倒をみる。(乳飲み子だけは、お母さんが背中に布に包んで背負ってました) 女の子は家事を手伝い、男の子はお父さんと一緒に畑に出たり、力仕事をする。

そんな感じで、みんながきちんと役割をもち、助け合って暮らしていました。


つづく。