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いつもの週末。
Bonjour!おひさしぶりになってしまったOyoです。
みなさん、さばですか? あじもいわしもさばです。

私は・・・はい、ええと、任地に帰ってきて前回のブログをアップしてから、1週間ほど、(軽い)肺炎とそこから来る胃腸炎と変な大腸菌にやられて寝込んでおりました。健康管理員さんの指示で首都にあがり、JICA指定の病院で診察を受け、恐ろしい高額なお薬たちを飲んで、ふっかーつ!です。いや〜。医療があるって、すごいね〜。

うちの鶏、知らないうちに倍以上に増えていたよ・・・。朝は4時半から、恐竜かと思うくらいの雄たけび。猫のえさもすべて食べてしまうので、結構油断ならんやつらです。(食べ残しの鶏の骨とか、バリバリ食べるし・・・)

来月のイスラムのお祭りTABASKIには、友人たちにお土産に持って行こうと思います。自分じゃ、さばけないので〜。






というわけで、久々の任地での週末。仕事は・・・まあ、例によって放置プレイなので、また来週に策を練ります。(また仕事のことは別にアップしますわ。)

土曜日は、よく利用するバス会社のひとつSTAFのガール(バスターミナル)が新しくなったというので、その式典に。
 

踊りや歌が盛り込まれるものの、相変わらずのブルキナの式典。いや〜。次々と人が出てきて、その話が長いんだってば。(しかも、半分現地語。まったくわからん。)

 
運輸大臣が来て、その時だけ、パラソルが登場。この国、やっぱり偉い人は特別待遇なのです。会社運営側にイスラムの人が多かったのかな。あっさらーむ・あらいくむ な人が多かったです。

 
となりの県のプニから、わざわざ伝統的なマスクさんたちもご来場。
 
もちろん、激しい踊りつき。むちや杖を持って、暴れまくる(にしか、見えない。)相変わらずだが、暑そうだ・・・・。

そして、さらには、お大臣様、この辺のナーバ(王様。どうしてでてきたんだ!?)に贈り物の羊をプレゼント。

最後には、バスターミナルの除幕式。(って、インフォメーションが書いてあるところに紙をはっただけのをぴりぴりやぶっただけ。) 一応、首都の他に、ボボデュラッソという第二の都市にも路線開通したようです。万歳。
 

この後たぶん、飲み食いのパーティがあっただろうけど、ごちそうに突進して食べまくるブルキナベについていける自信が皆無だったので、同任地の隊員も誘って、同僚カリファの家へ。

このおうちには、たまに遊びに行かせてもらってます。(テレビあるし!) カリファの4番目のおこさまも、最初行った時は、ちっこい赤ちゃんだったのですが、もうすっかり大きくなって、あたりを走り回っていました。

退避前は、白人(黒じゃなければ、白なの。こっちでは。)が怖くて泣きまくってましたが、いまはなんとなく距離を保って、こっちをがん見です。








いつもながら、マンゴーの木下にいすを置いておしゃべり。マダムお手製のリグラ(り=米 グラ=油)を出してくれました。彼、イスラム教なのに、いつもいくと、わざわざお酒を買ってきてくれます。
  
「今日は心行くまで酔っ払うのだ!」と、ビールやらラム酒やらワインやら・・・。冷蔵庫がないのに、氷までだしてくれて、本当に申し訳ない。ここは、もう思いっきり、食べて飲むしかない!ってことで、昼間っから、相当酔っ払いました・・・。(ばんちょ〜、いっぱい飲ませてごめん・・・。)

  
4番目の息子と3番目の息子。日本の帽子に興味津々。

この後は、ひたすらしゃべりまくりました。ブルキナであったこと、日本であったこと、いろいろと。ちょっとびっくりしたのは、カダフィー大佐は、アフリカの民を助ける人で、彼らには英雄である、ってこと。先日、コンパオレ大統領は、受け入れを正式否定しましたが、それについては彼らは非難してました。ブルキナの騒動は一応鎮静化してますが、やっぱり政府のやり方には、色々不満があるみたいです。

夕方はたけとんぼで遊んだりしましたが・・・いや〜。あんまり覚えてないかも・・・飲み過ぎてふらふらになって帰宅し、夕方からもう爆睡。久々に「限界まで飲み食いする」ブルキナ式のお呼ばれ、堪能しました・・・。来月の祭りでは、要対策です。

それにしても、この国の人たちの歓迎っぷり。本当にありがたいです。彼のお給料額を知ってるだけに、このもてなし、ちょっと心が痛くなるくらいです。

私ができることって、本当に少ない。けど、彼らは、全力で私たちを受け入れてくれる。あと半年。何かが残せるかははなはだ自信はないですけど、友人のブログにもあったけど、こうした人たちとの出会いが、一番の収穫なのかも・・・と、しみじみ感じました。

ただいま、クドゥグ。
Bonjour! 任地に帰り、廃墟になっていた我が家の掃除をし、滞納していた請求書を片付け、やっともとのおうちとライフラインが戻ってまいりました。ふ〜。
疲れた。みなさん、さばですか?

いや〜。ブルキナベの歓迎っぷり、半端ないね〜。

「おかえり!」「久しぶり!」「日本の家族は元気だった?」みんなみんな、大歓迎。彼らの喜びようと笑顔を見て、あ〜、帰ってきたんだなあって心から思いました。
言いたい放題の人たちは、「いったい、どこいってたの?」「何で何も言わないで日本に帰るんだ!」「何で俺を連れて行ってくれたかったんだ!」うん、なんか、ブルキナベだな〜って感じ。ほんと、みんな変わらないな〜と。

相変わらずといえば、町を自転車で走ってても、刺さる視線。
「ぽこびー!おかえりー!」ってあちらこちらから叫ばれ、「なさーら!(現地語で白人!)」「じゃぽね!」「シノワ!」 ・・・いやはや、日本にいた時のように、ふつーにさらりとは通り過ぎることは許されないですな、相変わらず。

会う知り合いには100%「太ったね!」といわれる悲しいおいら。職場のマダムには、腰の肉をつかまれ「こんなん、前なかったわよ!」と言われ、服が入らないというと手をたたいて爆笑され・・・ちくしょ〜!なんとか退避以前の体重に戻さないとな〜。

変わったことといえば、わが愛猫いわし!
電話では生きているよ〜とは聞いていたけれど、ほんとかいな?と疑っておりまして。この目で見ないと・・・・と思って帰宅してみましたら。なんと・・・子供をつれていました!


うちのムスメがいつの間に!!!こんな針金のように細いわが子がコドモを生んだなんて!もともと細い子でしたが、ガル(警備員)に託したお金が尽きてからは、自力で暮らしていたみたい。餓死寸前か!?と思うほど、がりがりにやせていました。(涙)

早速肉をあげたからなのか、いやいや、その前から家の中には入ってきたし、私を飼い主と認識しているらしくすりすりしてくるいわし。外猫になっていたので、ノミが気になるところですが・・・ウイヤツです。







こちらが、新登場、「あじ」。真っ黒な子猫です。(目が怖い・・・びーむ!)

本当は3匹くらい生んだみたいなんだけど、亡くなってしまったみたいで。このあじも、まったくもって人見知りしていて、近づいてくるのがやっとですが・・・まあ、そのうち慣れるかな〜。いや、慣れてくれ!


おうちのほうは・・・ええ、それはそれは、すごい廃墟で。入ったとたん、変なにおい。(多分、トカゲの糞のせい。)ホコリだらけで歩くのもためらわれ。水がでなかったので、掃除もままならず・・・


任地に戻って2日目にやっと時間ができたので、支払い関係を済ませ、友達を呼んでひたすら掃除。ブルキナベ、本当によく働きます。きれいにごみを取り、雑巾で床もどこも磨き上げてくれました。


ほこりまみれで色が変化してしまったシーツ。(裏と表ね。)

あり塚は、そんなにたくさんはなかった(7個くらい、シンプルなヤツができてた)けど、シャワースペースとトイレの排水溝に巣ができてて、どけたら数万(!)という大群が床を埋め尽くす始末。写真撮る気力もなかったよ〜。
 
シロアリの巣(通り道?)やつら、壁にも巣を作るので、かけていたカレンダー落とされたよ。

玄関のぶどうの支柱も、暑さとありにやられて倒れたみたい。ドアまで行くのが大変だし、いってもドアは開かないし、大変だったわ〜。
 

お友達のおかげでなんとか掃除は終わって、帰郷3日目の本日はほぼ前の暮らしに戻りました。まだ町を歩くと、その刺さる視線とこれでもか〜の挨拶攻撃にうんざりですが、徐々に慣れていければと思います。

そんな感じで。明日からは、きょーふの仕事復帰です。またレポートします。
ただいま、ブルキナファソ。
Bonjour!
ブルキナファソに無事戻ってきたOyoです。

緊急退避して、実に4ヵ月半。長い長いお休みでした。
雨季も終わりに差し掛かり、すっかり気候の変わったブルキナファソ。飛行機から見下ろしても「緑が多いな〜。ため池ができているな〜。」と人目で変化がわかるほど。降り立ってみると、確かに日本より少し暑いけど、前回出国する時とは比べ物にならないほど、過ごし易くなっているような気がします。

戻ってきて感じることは・・・ う〜ん、意外に「普通」だなってこと。
ブルキナベは、依然と同じように陽気でいい人たちで、道には動物たちがうろうろしていて常に鳴き声が聞こえていて、大地は埃っぽくて赤茶けていて、相変わらず停電ばかりで。

でも、この「普通」になるって言うまでが、きっととっても大変な道のりだったのだと思います。昨日は、JICA事務所で、改めていろんなオリエンテーションがありました。その中で、私たちの退避後の状況を詳しく所長から聞き、改めてここ数ヶ月でブルキナファソで起きた一連の事件の大変さを知りました。市民を守る側が市民を攻撃したこと、起こった危機は「国が崩れるような」危なさを持っていたこと。アフリカでも、もっとも平和で温厚といわれていたブルキナファソが、脆弱国家として見られるようになってしまったこと。「今年はブルキナベにとって歴史的な年だった。一番傷ついたのはブルキナベ」の言葉は、一連の話を聞いた後では、本当に心に刺さるものでした。


 
↑ いつも行くスーパーにも、略奪の爪あと。しっかりと銃弾の痕跡が残ってます。(あちゃん、写真ありがとー)


週末の今日、町を歩いてみました。
町がなんだかきれいに感じたり、声をかけてくるブルキナベが意外にしつこく感じなかったり。照り付けてくる太陽はやっぱり暑いけど、前とはなんだか違う感じで。なによりも、いままで一緒にいた仲間がいなくなっているということを、改めて実感しました。きっと任地に戻ったら、また前のような生活が始まるんだろうけど、やっぱり何かがぽっかりとなくなっているような、そんな気がしてならないブルキナファソなのです。

私は予定通り、2012年の3月末に日本に帰る予定です。
この空白の期間で失われたものはたくさんあるだろうし、少なくなった残りの期間でやれることはすごく限られてしまいました。

でも、4ヶ月ちょっとの一時帰国で、見えてこなかったものもたくさんあったし、この時間を後々どんなものとして位置づけられるかは・・・・本当に私自身の行動だったり、考え方次第なのかな、とも思います。「おかえり!」って言ってくれるブルキナベのためにも、前を向いて一緒に進まないとな、と帰ってきて改めて思いました。

なんだかくそまじめなエントリーになりましたが。私たちはとにかく元気にやってます。また任地に戻って、普通の生活ができるようになったら、アップしますね。あびあんとー。